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歌曲の夕べ(ブラームス) 

今宵は歌曲の夕べと題して、バリトン歌手、碓井士郎氏のコンサートに出かけた。
10年ほど前からJohannes Brahmsの全曲を、ブラームスの亡くなった64歳までに唄うということであった。毎回そうですが今日のステージも素晴らしい舞台でした。

     ブラームスの最後
1896年5月20日心の支えだったクララ・シューマンが77歳で亡くなると彼の落胆と憔悴はひどく、友人たちは医者の診断を勧めました。やはり肝臓癌の病魔が進行し膵臓にも異常があり急激に体力が衰えていきました。温泉治療も効かなくクララの後を追うように翌年1897年4月3日午前8時30分、大作曲家ヨハネス・ブラームスは64歳の生涯を閉じました。最後の夜、身の回りの世話をしていたトゥルクサ夫人はブラームスに寝室で身体を洗うように勧めると彼は怒り「つまりあなたは、最後のお清めをしてくれるんだな。僕はガキじゃないんだよ」彼女は!、でも先生それなら洗面台をベッドの脇まで運ばせてください.歩かずにすみますから」と応えると機嫌が直り、「利口な人だなあ。あなたとなら話が通じる」この会話でトゥルクサ夫人はブラームスの命はあと数時間と思ったそうです。その夜半、身の置き処がないほど苦しみベッドで寝返りばかり打つのでブロイアー医師はモルヒネを注射したと記されています。巨匠逝去の報せを聞きウイーン市長ルエーガーが葬儀の段取りと中央墓地の音楽家地区に名誉墓地を作ることを承諾し自ら引き受け、葬儀の費用はウイーン学友協会が全額負担し、(ブラームス遺書で遺産の半額を学友協会に寄付)馬車5台に各地音楽関係者からの花輪が満載、彼の棺馬車にも立派な花輪が飾られ盛大に行われ、当時の音楽家や有名人他、多くの人で通りと教会は埋めつくされたといわれています。
(R・ホイベルガー著「回想録」から引用)

以上は、今日のプログラムに書かれていたことをそのまま皆さんにご紹介致しました。   
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[2006/09/02 00:04] ひとりごと | TB(0) | CM(0)

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